北川本家 360周年記念サイト

360年の歩み

 

日本酒の時代背景(技術の発達)と酒質の変化

日本酒は元々中国から伝来してきた技術であります。稲作が伝来して共に酒造りも入ってきたものです。
当初、主に作られていたのは口噛み酒のようでまだまだ現在の日本酒とは違うものだったと思います。
それから麹の技術が確立されるようになり、麹菌の糖化作用を利用することで、飛躍的に米を溶かす(米のでんぷんを糖分にかえる)ことが出来るようになり酒質は、甘みやその他の複雑なものになったと考えられます。
その後酒母をある程度安定的に造る、菩提酛などの手法が作られ安全醸造の上で比較的安定して酒造りが行われるようになります。
そして仕込が安定すると、今度は仕込みの大型化が始まり、当初お酒は神事や貴族の部類にしか普及していなかったものが徐々に一般の人にも普及するようになりました。
商売の商品として流通するようになり、それを造る人たち(杜氏制度)の形成がされ、技術の向上、仕込量の増大が図られたと思います。

江戸時代までは、お酒を安全に作るために、濃厚で強い酒造りが主にされておりました。
また基本が精米もあまりされておらず、また、生酛づくりのため、酸味や苦み、米も甘味、うまみを含んだものであったと思われます。
ただ仕込を大型化する傾向にあったものの、原料である米の生産力は現在のようにはまだまだ行かず、米の取れ高で酒造は制限されていたようです。
特にそれが顕著に現れている記述としては1782~1788年にかけての天明の大飢饉、1939~1945年第2次世界大戦時があると思います。
共に理由は違いますが、米が足りなくなった事実が、酒造りを制限することとなっています。
ただ戦争時の米不足の対応として国が行った政策として増醸酒の開発によるお酒の確保があり、淡麗化がこのころから進んで出来たようにも思われます。

明治に入り、国家的な酒税の確保のため、更なる安全醸造の為、山卸廃止酛、速醸酛が開発され、安全で大量に酒造りが出来るようになります。
そうするとその反面濃厚で強い酒造りでなくても品質(火入技術の向上、ホーロータンク、一升瓶等の出現)を維持できるようになりました。
またこのころから、酒造技術が飛躍的に向上し、精米機の開発による米の高精白化技術が開発されます。
戦後には稲作の品種改良や技術向上により米の取れ高も増えて米を削ってお酒を造る余裕も少しずつ生まれてきます。
米を削ることによって米の雑味成分が減り、きれいな甘みで香り高い酒質の淡麗なお酒も出現することとなりました。
のちに吟醸酒の発達(高精白米、つきハゼ麹、低温長期醪)にともなって酒質が淡麗できれいなものが増えていきました。

1980年代は地酒ブームと呼ばれており本格志向の日本酒、地酒に注目が集まります。
のちに吟醸の出現により吟醸酒ブームが到来し酒質の淡麗化が加速していきます。
その後のワインブーム、焼酎ブームを経て密かな?高級日本酒ブームが来ていると言われます。
淡麗化の最盛期であるともいえる現在の日本酒ですが、お酒の酒質としても戦後の技術革新、酒造技術の研鑚によって高品質を安定して作れるようになってきております。
その為、現在を日本酒史上最高品質の時代だと言われるほど、いろいろなおいしい日本酒を頂ける時代であります。
今後は酒造りもさらに少量多品種化が進み複雑になると考えられます。

この時代の中で当社としては、今までの吟醸酒の技術も大事にしつつ過去に回帰した昔の酒造り(複雑で濃厚な酒)も 新しいこれからの酒として取り入れていけたらと考えております。

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